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【鉱物解説】 大分県 尾平鉱山(おびらこうざん)

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 尾平鉱山は大分県豊後大野(ぶんごおおの)市緒方(おがた)町地区にあった鉱山(現在は閉山)です。

 尾平鉱山は大分県と宮崎県の県境付近、祖母山麓(そぼさんろく)の標高約700メートルにありました。

 尾平鉱山の鉱床は気成スカルン鉱床です。地質的には蛇紋岩メランジュ(泥岩などを基質としてさまざまな種類、大きさの岩塊(ブロック)を含むような広い地質体)である黒瀬川構造帯に大崩山花崗岩が貫入したスカルンで、その生成は新生代新第三紀中新世中頃(約1400万年前)とされています。また、スカルンに伴って気成鉱床が花崗斑岩の環状岩脈によって生成しています(気成スカルン鉱床)。

 尾平鉱山は1547年(天文16年)に銀が採掘されたという記録が残っていますが、公式には1617年に蒸籠山(こしきやま)坑での錫の採掘とともに操業を開始しました。江戸時代を代表する通貨である「寛永通宝」には尾平鉱山産の錫が使われていました。その後は明治、大正期になっても動力が水力以外に無いなど、採掘技術の進歩もなく産出量が低下して行きます。しかし1935年(昭和10年)に鉱山を移譲された三菱鉱業が鉱山設備を近代化し、また探鉱などの努力により産出量が飛躍的に増加します。この頃が尾平鉱山の最盛期で、1941年(昭和16年)には金属錫390.84t、総出鉱量53,222tの年産量を記録しています。しかしその後は1944年(昭和19年)の錫鉱業整備令で休山し、朝鮮戦争時の1950年(昭和25年)に再開しますが高品位の錫鉱脈を掘りつくし、その10年後には総出鉱量で最盛期の半分以下、その翌年には更に半分以下と激減します。そして1954年(昭和29年)に閉山となりました。

 現在は坑内廃水処理のみが行われています。また休山に伴い閉校した小学校跡には祖母山麓尾平青少年旅行村があり、祖母山登山の基地となっています。

 尾平鉱山は錫をはじめ、銅や亜鉛、硫砒鉄などを産しましたが、現在においては希少な鉱物標本を採取できるスポットとして鉱物収集家の間で知られています。

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